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2005年6月27日 (月)

そもそも正露丸とは。その1.5

こんにちは。まだ飽きていません。朝雄です。
前に「そもそも正露丸とは。その1」と題して正露丸の誕生を書いたんで、その続きとして「"征露丸"から"正露丸"へ」と名称をが変わったあたりの話を「その2」として書こうと思っておりました。が、なんかいろいろあって、考えあぐねているうちに時間が経っちゃって、その間にも新たに正露丸を購入していたり、「あのホーロー看板、欲しかったなー」と未練がましく思っていたり、しているうちに「その2」としてまとめる作業をすっかり忘れていました。

まーどういう風にまとめるつもりだったのかは、忘れてしまったので気を取り直して一から考え直そうとした矢先に、ヤフーオークションに新たな注目すべき品が!!
正露丸のブリキ缶なんだけど、今回は頑張って落札したぜ!!落札金額3900円。
正露丸マニア市場が、どこにあるのかわからないので「正露丸のブリキ缶の適正価格は3900円」って事にしよう。(ちなみにワタクシ以外に2名の入札者がいたけど。)

g012  

 

で、入手したブリキ缶なんだけど。
大きさ的には「そもそも正露丸とは。その1」で紹介した物と同じくらい。
ただ、蓋の打ち出しが「元名 征露丸 政府登録 戦友丸」とあり、その下に「毎食後一個ヅヽ服用スレバ常ニ壮健」とある。
さて。・・・。
前回「その1」で紹介したブリキ缶を町田氏の書籍の記述内容から「日露戦争当時の物ではないか」と推測してみたのだけど、このような新たなブリキ缶が出てくると、必ずしもそうとも言えなくなってくる気がする。
まず「戦友丸」というのは、どうも商品名だと思われる。
民間に正露丸(征露丸)の製造が許可されるのは、日露戦争が終結した後なので、商品名がついた物だとすれば、少なくとも日露戦争で兵士が携帯した物ではないということになる。

実は前回も参考にさせていただいた町田氏の『懐かしの家庭薬大全』の正露丸のページには時代背景を映す物として「戦友丸」の新聞広告も紹介されている。昭和8年のものと昭和14年の新聞広告。「戦友丸」がいつごろから出てきたのかまでは、はっきりしないけど昭和に入ってからの可能性は高いように思う。

うーん。これからどういう結論を導けばいいんだろう。

「その1」で、「日露戦争に兵士が"征露丸"を携帯して行った」というような事を書いたけど、実は日露戦争の最中に"征露丸"という名称が本当に使われていたのかどうかは、いまいちはっきりしないらしく、軍の公式記録には「クレオソート丸」という主成分を表した名称しか残されていないそうなのだ。ただ「その1」で紹介した従軍記者の記事には"征露丸"の名は出てきており、さらに商標の登録時期なんかも含めて町田氏は自著(『マッカーサーと征露丸』)の中で「(大幸薬品が取材に応じてくれない事もあり)征露丸の誕生の謎は闇の中」と述べているんだよね。

正露丸関係の書籍にはブリキ缶の実物を提示しているものがなく、ワタクシの手元のブリキ缶はいったいどのようなモノなのか判然としない感じに。
以下、ちょっと思いついた範囲で可能性を考えてみる。

・可能性1
●「その1の征露丸」も「戦友丸」も日露戦争後に民間向けに販売された物
 現在の正露丸は紙製の箱の中にガラスかプラスチックに瓶に入っているので、当時からそのような形態で民間では販売されていたと思いこんでいたけど、実はブリキ缶での販売形態もあったのではないか?
 たとえば現在でも浅田飴だとかサクマドロップなんかが缶入りで販売されているのを考えると、あながち無いとも言えないと思う。(それとも、"飴"特有の事情でもあるのかなぁ?)

・可能性2
●「その1の征露丸」は日露戦争当時の物。
 「戦友丸」のブリキ缶のブリキ缶には「その1」で紹介した「蓋を回すと丸薬が孔からころりと一粒だけ出るようになっている。」というギミックが無く単に入れ物と蓋で出来ているだけである。薬を取り出すには普通に蓋を開けて取り出すだけ。
その点、「その1」のブリキ缶は『軍医の観たる戦争』という書籍で日露戦争に兵士が携帯したブリキ缶の描写とほぼ一致する。
ただし、この描写部分は町田氏の書籍からの孫引きとなるので、何ともいえないところがあるなー。この『軍医の見た戦争』という本の刊行は昭和9年なので、上記の可能性1のような感じで既に民間に出回っていたものを参考に書いた、という事も考えられるし。

・可能性3
●どちらも太平洋戦争当時の物。
 鈴木昶『伝承薬の事典』(東京堂出版)という本に「征露丸は明治だけではなく、昭和の十五年戦争でも軍用薬として大活躍する」という記述がある。この「大活躍」というものがどのような活躍であったのかまでは記述されていないのだけど、仮に日露戦争の時と同じように兵士が携帯していったとすれば、割れやすいガラス瓶よりも、丈夫なブリキ缶の形態であった可能性も考えられる。
つまり軍用薬としてブリキ缶入りが製造された、と。

まー、そんな感じかなー。
なんていうか、このブログは、もっとノンキな感じでやっていこうと思っていたモノなんで、あんまり頭を使うと知恵熱出ちゃうよ。地道に調べて行くかー。

それよりも問題なのは、この「戦友丸」。
錆びついて蓋が開かないのですが、振ったときの音の感じから中身がまだだいぶ入っているようです・・・・・・・・・。
いや、まぁ少なく見積もっても60年近く前の正露丸が入っている分にはいいんですけど。
戦友が戦死した場合に遺骨として指の一本分だけ持ち帰る、みたいな描写が水木しげるの戦記漫画にあったような気がするのですが・・・・・上記「可能性3」みたいな場合、そんなのが入っていたり・・・・・・しませんよね・・・・・・・。

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コメント

すごい。本格的で読み応え十分でした。
「戦友丸」とはまたすごいネーミング。頼りになりそうです。全く根拠はないのですが、私としては可能性3を推したい気分。

缶の中身を空想する楽しみ(?)は消したくないです。

投稿: genno | 2005年6月29日 (水) 06時07分

おっと。こりゃ、どうも。
まぁ、正露丸の香りがするので、よもや人骨が入っているような事はないと思いますけど・・・。
でも、所々サビついて小さな穴が開いているわりには、正露丸のにおいが薄い気がするなぁー。
あの香りは時間が経つと薄くなるのかなー。少なくとも60年以上は経っているわけで、どんな変化をしていてもおかしくはないんですけどねー。

投稿: 朝雄 | 2005年6月30日 (木) 06時35分

初めまして。

ちょっと議員さんの発言から「せいろがん」に首を突っ込んでしまい、こちらを参考にさせていただきました。

「正露丸」がもはや普通名詞となっているという判決の出た裁判が
ありまして、その判決文の中に、このようなことが書かれていました。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/59B0A51BBE01C99C49256A76002F89EF.pdf

大正15年6月28日大審院において、

「日露間の平和回復後は、その語意にてらし国際間の通義に反し秩序を紊るものであるとの理由で、これを無効」

とした抗告審判の審決が是認され、同商標権は効力を失った。

  ↓

※業者の中には、右判決の趣旨を汲んで「征露丸」の名称の使用をやめ「戦友丸」「平和記念丸」などの別名に変えるところも出た。
(ただし、中身は征露丸である旨をしるす)
とあり、大正15年以降昭和10年代までに改名したうちの一つのようですね。

投稿: さにぃさいど | 2009年12月13日 (日) 08時07分

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» ただつゆまる [さにぃさいどの悠々自適]
bogus-simotukareさまからの指摘。 今、市販されている「正露丸」は、終戦時に名称を「変えさせられた」のです。 征露丸は、日露戦争で盛んに使用したもので、今の、名称ですと、露西亜が正しい!になってしまいます。 この会社は、日本で唯一正統な名称の征露丸を発売して... [続きを読む]

受信: 2009年12月12日 (土) 18時55分

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