2008年7月 6日 (日)

裁判というのは最終的に2年くらいかかってしまうのだなー。

二年前に大幸薬品が和泉薬品を訴えた裁判は、結局大幸薬品の敗訴で終わりました、っと。
大幸薬品の敗訴確定=正露丸販売差し止め訴訟-最高裁

短いニュース記事しかないので、詳細が分からないけど「正露丸」が一般名詞なのは30年以上前に裁判で決着がついていたはずで、今回はパッケージのデザインについてが争点だったような。
二年前のおいらも、そんな内容で書いてるし。
今回の結論は「マークが違うんだから、間違えねーよ」って事かー。

まぁファンとしては一安心だけど。

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2007年11月12日 (月)

100年ぶりの自衛隊

100年ぶりに自衛隊装備品復活という記事。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071112/plc0711122109003-n1.htm

100年ぶりに・・・・自衛隊?・・・え?

そんなアゲアシ取りを、放置ブログの気まぐれ更新でされてもなぁ。
ごめんなさい。

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2006年7月28日 (金)

地裁が請求を棄却したらしいので、久々に更新をしてみよう。

あちょー!!
すごい放置していたけど、勢いで誤魔化そう!!

1月に大幸薬品が正露丸のデザインについて起こした裁判。
(1月8日に書いた。元記事は、とっくにリンク切れになっているけど。)

なんか、大阪地裁は請求を棄却したらしいぜー。
やっほーい。とりあえずレトロ風パッケージが一社独占にならない判断は出たわけだ。

・・・上告とか、すんのかなぁ。裁判の事はよくわからねぇけど。

ま、それはそれとして。
本ブログ。八月くらいから、ぼちぼち再開したいと思います。
八月って来週からか。じゃ九月くらいかも。

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2006年2月11日 (土)

忠勇征露丸の木箱

kibako01

まだ、2月ですけど。
ちょっと更新。

えー。征露丸の木箱です。
大きさは手のひらに乗る程度。中はカラ。

kibako02

"忠勇征露丸"という名称から、戦前もしくは戦時中のものですね。
中島佐一薬房というのは、当時の正露丸最大手で、よく新聞広告なんかを出していたようです。
今まで、ブリキ缶については実際に手に入れましたし、昔の薬についての雑学本なんかにも言及されていることは多かったのですが、木箱の存在は初めて知りました。
この中にブリキ缶が入っていたのでしょうか?

kibako03

裏。
持ち主でしょうか。個人名の印が押されています。
なんとなく軍隊と関係ありそうな部署の名前がついていますが、よくわかりませんなー。
なんか読めない漢字あるし。

効能の記述に「消化不良」だとか「腹痛」なんかとならんで、「肺結核」「肺炎」「肋膜炎」とかが書いてあります。・・・・・・。
結核になって正露丸を飲まされる時代に生まれなくてよかったですね。

「無病健康者ハ毎食後壱粒宛服用セバ可ナリ」
なんて事もかいてあります。・・・・・。
サプリメント代わりに正露丸を飲まされる時代に生まれなくてよかったですね。

表の印刷では"金弐圓"とありますが裏には"金壱圓"という印が押されています。
半額セールですな。1円というのがどのくらいの価値の頃なのかさっぱりなのですが。
でもそんなに安くなかった頃でしょ?半額の理由はなんだろう?

定価表が載っていて
150粒が2円とあるから、この木箱は150粒用のものですな。
他は250粒で3円、500粒で5円、1000粒で10円です。

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横。
『征露丸本舗』と印刷されたテープ状の紙で封がされていたみたい。

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2006年1月 8日 (日)

また裁判をやっている、という記事を見て久々に更新をひっそりと行ってみよう。

こんにちは。
えー。
あけまして・・・・・。

そんなわけで。
このブログの存在自体を忘れかけておりましたが。

ふと、こんな新聞サイト記事を見つけたので。

名前やデザインそっくり 正露丸ごたごた半世紀 」産経新聞

うおー。また裁判やってるのかー。
確かに商標については、"一般的な名称"という結論だとしても、デザインに関しては火種になりえるんじゃないかと前からうすうす思っていたのですがー。
やっぱりですかー。

でも、この裁判結果でオレンジレトロチックなパッケージが独占されたら、もうあんまり正露丸にも興味なくなるなー。

まぁこのブログ的には、とっくに興味をなくしたんじゃないかと思われても仕方がありませんが・・・・・・・。

寒いしさぁ。更新が鈍るのはしょうがないよねー。
じゃ!またサクラが咲いた頃に!!

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2005年8月15日 (月)

そもそも正露丸とは。「征→正」編

s027 日本医薬品製造株式会社
『征露丸S』

今月の更新目標を4回と宣言しておきながら、すっかりさっぱりぼんやりのまま、8月も半分が経過してしまった・・・・・・・・。

まぁ、それはともかく。正露丸について語ろうではないか。
(偉そうな口調でゴマカシてみる。)

前にも書きましたが、正露丸はもともと日露戦争にちなんだ『征露丸』という名称でした。
が、太平洋戦争が終了した後「ぶっそうな名前なんで何とかしろ」というような御達しが、お上からあって『正露丸』という名称になりました。

しかし、この御達しは必ずしも従わなければいけないものでもなかったようです。
あるいは、業界の自主規制に近いものだったのかもしれません。
その証拠に現在でも『征露丸』の名称で販売している会社があります。

この日本医薬品製造株式会社の『征露丸』は、一般薬局ではなく置き薬の業界で流通しているようです。
「ようです」ってのは、あんまり詳しく知らないからなんですけど。

自分が手に入れたのは、"キョクトウ本舗"という、置き薬を中心にしたレトロ雑貨ショップで手に入れました。たぶんあの正露丸製造の隠れた大手、キョクトウが運営に参加してるお店なんじゃないかなぁ。
新宿ミロードとか、横浜のワールドポーターズにあったショップなんだけど。今でもあるのかしら。

で、このパッケージですけど。
だれですか。この髭のじじいは。
(画像をクリックすると見やすくなります。じじいの顔が。)

松本順(良順)という軍医です。蘭学を学んだ後、なんだかんだで江戸幕府の将軍侍医の職に就き、戊辰戦争の後、なんだかんだで陸軍最初の軍医頭になって、さらになんだかんだの後に、初代陸軍軍医総監となり、日本の陸軍軍医制度を確立した人なのであります。
牛乳だとか海水浴を奨励したりと、民間医療にも関心があったようです、よ。

この人と正露丸との係わり合いなのですが。
パッケージにしている日本医薬品製造株式会社では、「この人こそ正露丸の開発者」としているようですが、まぁ、正露丸の出生には謎が多いので。・・・・・よくわかりません。

まぁ、そんなところで。
あいかわらず、ツッコミの甘い内容ですが。
夏ですし。暑いですし。ねぇ。もう。
「パッケージに載っている『征露丸S』の"S"って何だよ」
とか、もうそういう暑苦しい事いうのはナシってことで。知らないし。

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2005年7月 6日 (水)

そもそも正露丸とは。<ブリキ缶の話:第3回>

なかなか"その2"に行けない「そもそも正露丸とは。」なんですけど。
前回"その1.5"なんて付けちゃったのに、今回も「ブリキ缶」の話なんで、もう番号の振り方がわからなくなっちゃって・・・・・・。

まぁ、それはともかく。

ヒマさえあれば「正露丸」とか「征露丸」なんて言葉でネット検索をかけている朝雄です。
こんにちは。梅雨ですね。食べ物が痛みやすい季節ですが、くれぐれもお腹をこわしたりしないように注意しましょう、なんて他人の腹の具合なんて、気にしてる場合じゃねぇっす。

こんなページを見つけたんす。
伝統薬ロングセラー物語:正露丸
(えーっと。「東京都家庭薬工業協同組合」のサイトの一コーナーです。)
は!?が!!
"明治時代の征露丸"
ブリキ缶の画像が!!載っておる!!
これは、「その1」で紹介したワタクシ所有のブリキ缶とほぼ同じものではないですか!!
うーむ。
ということは、ワタクシ所有のブリキ缶も日露戦争当時の物ということでいいのかな?

が、「伝統薬ロングセラー物語」で掲載されているブリキ缶とワタクシが「その1」で紹介したブリキ缶。画像をよーく見比べてみると多少の違いがあるみたい。
「征露丸」の「征」の字のギョウニンベンの縦の棒の形が違うんだよね。
ヒマな人以外は、まぁ見比べなくてもいいですけど。ワタクシ所有のギョウニンベンは途中で横に折れている。
その他の文字までは、ちょっと画像が小さくて判別できないんだけど。
どういうこと?シークレットバージョン?(どっちがだよ。)

まぁ、結論はともかく。
自分が所有している以外のブリキ缶が確認できたのは、大きな前進なのであった。
どこに向かっているのかよくわからないけど。

で、話はブリキ缶とは離れるんだけど。
あらためて「伝統薬ロングセラー物語:正露丸」を読んでほしい。
この文章はラッパのマークでおなじみの大幸薬品の話を元に書かれている。
ここでは、正露丸の開発は日露戦争の二年前に、陸軍ではなく民間で開発されたことになっている。

うーん。ここらへん。
どうもはっきりしない問題で、個人的にはメンドクサイしウヤムヤにして置くつもりだったんだけどなぁ・・・・・・・。
前回の「その1.5」でも軽くふれたとおり、正露丸の誕生に関してはちょっとはっきりしていない部分があるらしい。陸軍開発説がわりと一般的なんだけど、大幸薬品はそれよりも以前に民間で開発したとの主張。
結局、前回の町田氏の書籍からの引用の通り「(大幸薬品が取材に応じてくれない事もあり)征露丸の誕生の謎は闇の中」なんだよね。

ちなみに和泉薬品工業のサイトでは
> 明治37年3月中ごろから陸軍衛生材料廠で製剤して
> 配布されたのがこの種丸薬製造の始まりです。

としている。

まぁ、とりあえず謎は謎として。
なんか、またわかったら書くよ。(急にめんどくさくなった)

下の画像は2,3年前に買った「正露丸100周年」バージョン。
伝統薬ロングセラー物語:正露丸」で
> 明治35年(1902年)に発売されてから今年で101年目を迎えます。
って、あるから、この100周年バージョンは多分2002年に発売されたやつだろうね。
(記事は2003年に書かれたもの、なんだろうなぁ。)
いちいち購入メモ取ってなかったから、よく覚えてないのよ・・・・。

ま、今日はそんなところです。

s025

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2005年6月27日 (月)

そもそも正露丸とは。その1.5

こんにちは。まだ飽きていません。朝雄です。
前に「そもそも正露丸とは。その1」と題して正露丸の誕生を書いたんで、その続きとして「"征露丸"から"正露丸"へ」と名称をが変わったあたりの話を「その2」として書こうと思っておりました。が、なんかいろいろあって、考えあぐねているうちに時間が経っちゃって、その間にも新たに正露丸を購入していたり、「あのホーロー看板、欲しかったなー」と未練がましく思っていたり、しているうちに「その2」としてまとめる作業をすっかり忘れていました。

まーどういう風にまとめるつもりだったのかは、忘れてしまったので気を取り直して一から考え直そうとした矢先に、ヤフーオークションに新たな注目すべき品が!!
正露丸のブリキ缶なんだけど、今回は頑張って落札したぜ!!落札金額3900円。
正露丸マニア市場が、どこにあるのかわからないので「正露丸のブリキ缶の適正価格は3900円」って事にしよう。(ちなみにワタクシ以外に2名の入札者がいたけど。)

g012  

 

で、入手したブリキ缶なんだけど。
大きさ的には「そもそも正露丸とは。その1」で紹介した物と同じくらい。
ただ、蓋の打ち出しが「元名 征露丸 政府登録 戦友丸」とあり、その下に「毎食後一個ヅヽ服用スレバ常ニ壮健」とある。
さて。・・・。
前回「その1」で紹介したブリキ缶を町田氏の書籍の記述内容から「日露戦争当時の物ではないか」と推測してみたのだけど、このような新たなブリキ缶が出てくると、必ずしもそうとも言えなくなってくる気がする。
まず「戦友丸」というのは、どうも商品名だと思われる。
民間に正露丸(征露丸)の製造が許可されるのは、日露戦争が終結した後なので、商品名がついた物だとすれば、少なくとも日露戦争で兵士が携帯した物ではないということになる。

実は前回も参考にさせていただいた町田氏の『懐かしの家庭薬大全』の正露丸のページには時代背景を映す物として「戦友丸」の新聞広告も紹介されている。昭和8年のものと昭和14年の新聞広告。「戦友丸」がいつごろから出てきたのかまでは、はっきりしないけど昭和に入ってからの可能性は高いように思う。

うーん。これからどういう結論を導けばいいんだろう。

「その1」で、「日露戦争に兵士が"征露丸"を携帯して行った」というような事を書いたけど、実は日露戦争の最中に"征露丸"という名称が本当に使われていたのかどうかは、いまいちはっきりしないらしく、軍の公式記録には「クレオソート丸」という主成分を表した名称しか残されていないそうなのだ。ただ「その1」で紹介した従軍記者の記事には"征露丸"の名は出てきており、さらに商標の登録時期なんかも含めて町田氏は自著(『マッカーサーと征露丸』)の中で「(大幸薬品が取材に応じてくれない事もあり)征露丸の誕生の謎は闇の中」と述べているんだよね。

正露丸関係の書籍にはブリキ缶の実物を提示しているものがなく、ワタクシの手元のブリキ缶はいったいどのようなモノなのか判然としない感じに。
以下、ちょっと思いついた範囲で可能性を考えてみる。

・可能性1
●「その1の征露丸」も「戦友丸」も日露戦争後に民間向けに販売された物
 現在の正露丸は紙製の箱の中にガラスかプラスチックに瓶に入っているので、当時からそのような形態で民間では販売されていたと思いこんでいたけど、実はブリキ缶での販売形態もあったのではないか?
 たとえば現在でも浅田飴だとかサクマドロップなんかが缶入りで販売されているのを考えると、あながち無いとも言えないと思う。(それとも、"飴"特有の事情でもあるのかなぁ?)

・可能性2
●「その1の征露丸」は日露戦争当時の物。
 「戦友丸」のブリキ缶のブリキ缶には「その1」で紹介した「蓋を回すと丸薬が孔からころりと一粒だけ出るようになっている。」というギミックが無く単に入れ物と蓋で出来ているだけである。薬を取り出すには普通に蓋を開けて取り出すだけ。
その点、「その1」のブリキ缶は『軍医の観たる戦争』という書籍で日露戦争に兵士が携帯したブリキ缶の描写とほぼ一致する。
ただし、この描写部分は町田氏の書籍からの孫引きとなるので、何ともいえないところがあるなー。この『軍医の見た戦争』という本の刊行は昭和9年なので、上記の可能性1のような感じで既に民間に出回っていたものを参考に書いた、という事も考えられるし。

・可能性3
●どちらも太平洋戦争当時の物。
 鈴木昶『伝承薬の事典』(東京堂出版)という本に「征露丸は明治だけではなく、昭和の十五年戦争でも軍用薬として大活躍する」という記述がある。この「大活躍」というものがどのような活躍であったのかまでは記述されていないのだけど、仮に日露戦争の時と同じように兵士が携帯していったとすれば、割れやすいガラス瓶よりも、丈夫なブリキ缶の形態であった可能性も考えられる。
つまり軍用薬としてブリキ缶入りが製造された、と。

まー、そんな感じかなー。
なんていうか、このブログは、もっとノンキな感じでやっていこうと思っていたモノなんで、あんまり頭を使うと知恵熱出ちゃうよ。地道に調べて行くかー。

それよりも問題なのは、この「戦友丸」。
錆びついて蓋が開かないのですが、振ったときの音の感じから中身がまだだいぶ入っているようです・・・・・・・・・。
いや、まぁ少なく見積もっても60年近く前の正露丸が入っている分にはいいんですけど。
戦友が戦死した場合に遺骨として指の一本分だけ持ち帰る、みたいな描写が水木しげるの戦記漫画にあったような気がするのですが・・・・・上記「可能性3」みたいな場合、そんなのが入っていたり・・・・・・しませんよね・・・・・・・。

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2005年5月28日 (土)

そもそも正露丸とは。その1

「正露丸」という名称には、日本がロシアと戦った日露戦争と深いかかわりがある、という事実は有名な事・・・・・だと・・・・・・思うんですけど・・・・・どうでしょうか・・・・。
ワタクシ、いささか正露丸に対する興味が過剰傾向なので、正露丸の一般的な認識がどの程度なのか、さっぱりなものでして・・・・。

まぁ、ちょっと順を追って説明しましょう。
話は明治37年から翌年にかけて日本がロシアと戦った日露戦争が舞台となります。
この戦争は運が良かったり、何だかんだとあったりで日本の勝利に終わるのは教科書どおりです。(というか、あんまり戦争の事自体については知らないですけど。)
当時の戦場は、衛生状態が極めて悪く、戦闘とは別に病気や栄養不足で死亡する兵士がかなりいました。とくに水の状態が悪い大陸での戦いで、腹の具合が悪くなる兵士が多かったとのことです。
そんな事から、当時の陸軍の衛生材料班が殺菌効果のあるクレオソートを主成分とした丸薬を開発したのが正露丸の誕生です。衛生材料班ではなく陸軍医学校という話もあるみたいですが・・・・まぁ、いずれにしても当時の陸軍が開発したということは間違いないようです。っていうか、衛生材料班と陸軍医学校がどういう風に違うのか、よく知らないし。
この丸薬を「征露丸」という名称で兵士に携帯させました。「正露丸」ではなく「征露丸」。"ロシアを征する"という意味ですね。この名称は太平洋戦争が終わるまで使われます。
兵士の携帯用に鉄製の缶に入れられた正露丸は日露戦争時700万缶もつくられたそうです。

角川書店から刊行されている町田忍氏の『懐かしの家庭医薬大全』に以下のような記述があります。

七百万缶も製造された征露丸だが、その認知度を物語る資料がある。当時のタイムズ紙の従軍記者が伝えた仁川上陸作戦(明治三十七年二月)の様子の中に、「上陸軍の兵士達は羊の毛皮のついた褐色の長い上衣を着て、雪の降る中を上陸していったが、青い外套、赤毛布、背嚢、水筒、破籠、飯盒、弾薬盒、錠剤および腹薬のクレオソートを含有する"征露丸"を携行していた」と紹介している。すでにこの時期において征露丸という薬が外国人記者の目にもとまっていたことが理解できる。鉄製の丸い缶の容器に入れられていて、缶の底には「毎食後必ず一粒服用すべし」という注意書きがあったという。

また、若干記述が異なりますがが芸文社から出ている同じ町田忍氏の著作『マッカーサーと征露丸』という書籍の中で、当時の兵士が携帯してた征露丸の形状について、昭和九年刊行の『軍医の観たる戦争』という書籍の引用から次のような記述があります。

さらに薬の外観の説明として、
<丸い鉄製の容器に入っていて、蓋を回すと丸薬が孔からころりと一粒だけ出るようになっている。蓋の表に打ち出しで、征露丸と書き、その下に「毎食後必ず一粒宛服用すべし」と注意書きが顕れている>という。

で、以下の画像。
ワタクシがヤフーオークションで手に入れた「日露戦争当時の正露丸の缶」という物。落札価格はいくらだったかなー。なんか、そういう肝心な事はすっかり忘れちゃった。
これが、ほんとうに日露戦争当時の物なのか?という疑問があり、出品者に問い合わせたりもしたのだけど返事がなかったし。
ただ、上記の薬缶の説明にかなり合致している。細かい事を言えば缶に書かれている文言は
「毎食後必ズ一粒ヅヽ服用スヘシ」
となっているんだけど。

まぁそうとうに古い物である事は間違いないだろうね。見ればわかるか。

ちなみに一般に「征露丸」が普及するのは、日露戦争終結後に民間に製造の許可が下りてから。

g009 g010 g011

 

 

 

・・・・・・多分、続く。

参考文献
町田忍『マッカーサーと正露丸』芸文社
町田忍『懐かしの家庭医薬大全』角川書店
田中聡『正露丸のラッパ』河出書房新社

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2005年4月21日 (木)

正露丸の臭い

正露丸の大きな特徴は、あの臭いだと思います。
あれは、主成分のクレオソートの臭いなのですが(うろ覚え)、正露丸が嫌いという方の多くがあの臭いが苦手なのでしょう。
正露丸の薬効として、下痢・食あたりの他に歯痛止めがあります。
丸薬を該当する歯に詰めるという方法で、たしか大幸薬品の正露丸には効能としてきちんと表記されていたと思います。
しかし、あの臭いの丸薬を歯に詰めた状態では、学校や会社へ行くなどの日常生活を送るのはなかなか大変ですよね。
まぁ歯痛で眠れない夜なんかの応急処置でしょう。

が、しかし世の中には「あの臭いが大好き」という方もいらっしゃるようで。
"gennoの消灯ラッパ"のgennoさん。「臭い」ではなく「香り」と表記なさっておりますが・・・・。
香りを楽しむためにカンペンケースに入れて学校に持っていかれたそうで。そりゃー周りから不評も買うでしょうよ・・・・・・。

しかし、たしかにクレオソートは消毒薬なので、清潔感のようなものを感じなくもないような気がしないでもないような、ないような、ないような・・・・・・。
でも、「正露丸の臭い」だよなー。

世の中は広い。

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